(有)ライトデザイン

 (有)ライトデザイン〜right design〜


筑波サーキットの目の前の小嶋英俊と井形マリのお店です。
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マリの小部屋 ( 私事 )



ついでに 私事も ちょこっと






 
  [ 2025/10/7 ]

 マリのアルバムは、81年が終わり、82年に入る。 82年は 念願の 国際A級に昇格し、憧れの赤ゼッケン。
  1年前に、小沼加代子が すでに A級に昇格しているので、女性で2番目の A級ライダーになる。

 ただ、段々 忙しくなって来たのか? 写真はあるが アルバムが綺麗に整理されていないのと、
  段々 周りの人も写ってくるので、どこまで公開していいか? 悩みながら選択する必要があり、

  ちょっと 整理に時間が掛かるので、ちょうど 79年から81年に掛けて ヨーロッパに居た、私の話題を
  間に入れながら、進めて行こうと思う。 と言うわけで、私事の続きを、少し ・・

 やっと ロンドン生活にも慣れて来た頃、日本から 本田時代の上司や、先輩達が 出張で イギリスに来て、
  会う機会も増えて、休日に観光に出掛けたり、UKホンダの マネージャーの Yさんに、

 日本から 出張で来た人を、休日に ロンドンを案内してくれないか、と頼まれて、英語も言えないのに、
  偉そうに 案内のバイトをしていたので、有名どころは 一通り回ったと思う。



 

 Tower Bride 2つの塔を つないだ吊り橋で、橋桁が跳ね上がる 跳開橋。 大型の船舶が通る為だが、
  この構造は、古くは、陸路を遮断する 防御の目的だったらしい。




 

 Tower of London 中世の城塞。 16世紀に、反逆者の牢獄や 処刑場として使われた 「恐怖の塔」
  その後、ユネスコの世界遺産に登録されたらしいが、建築としての遺産と同時に、負の歴史遺産でもある。

 この、どんよりとした 厚い雲が、いかにも ロンドンらしい。 傘を持った 英国紳士のイメージがあるが、
  確かに 雨は よく降るけど、日本の様な大雨になる事はなく、コートで しのげる程度の雨。

 太陽を見る事は少なく、太陽が出ると 皆 裸になって 日光浴をしている。 こんな暗い天候だから、
  イギリス人は 皆、さぞかし性格が暗いんじゃないか? と思うかも知れないが、いやいや
  だからこそ 逆に、楽しんで暮らそうとしているのか? 日本人からすると、楽しみ方が大袈裟過ぎる。




 

 Houses of Parliament 国会議事堂としてつかわれている、ウエストミンスター宮殿。
  テームズ河から臨む、ロンドンの中で、私が最も好きな風景。 ビッグベンは 15分置きに 鐘を鳴らす。





 

 Buckingham Palace イギリス国王の住居地。 からかっても 微動だにしない 黒い帽子に 赤い服を着た、
  人形の様な 近衛兵の交代儀式は、観光イベントになっている。
     




 

 University of Oxford オックスフォード大学。 オックスフォードの街は 歩いた記憶はあるのだけれど、
  大学の記憶が無いのだ? まあ、オックスフォードに来て、大学に行かないはずは無いと思うが?





 
 

 Windsor Castle ウィンザー城。 ロンドンから 西に少し行った、テームズ河沿いに建てられた、王室の公邸。
  エリザベス女王が居るらしい。 今は知らないが、当時は こういう王室の所有物の維持費は、税金ではなく、
  大英帝国が、植民地から略奪して来た 財産で運営されていた と聞いていた。

  
  






 
  [ 2025/9/27 ]

 マリとは 関係無くて 申し訳ないが、最近の私事を ちょこっと ・・・ 2025 motoGP 茂木。


 
 
 突然 前日に、金曜のフリー走行だけ チケットがあるので、行かないか? と誘われ、急遽 出掛けて来た。
 今回は 3日間、お天気には恵まれていて、マルケスのチャンピオン決定か? と話題も多く、盛況になるだろう。






 

 茂木は、鈴鹿の様なテクニカルサーキットとは正反対の、stop and goのレイアウトなので、走りに リズムを感じない。 
  走りの音楽が流れていない。 時代の流れとは言え、実につまらないコースレイアウトだ。
 ただ、そんなコースで育って来た若いライダーにとっては、走りやすい、得意なコースなのかも知れない。

 考えてみると、ロッシが引退したので、現役ライダーで、2ストロークの500ccで走った事のあるライダーは
  居ないんですねぇ〜!





 

 今まで、motoGPは2度見ていて、1回は雨で、マリと一緒に、ヘリポートの横の、3コーナーアウト側で、
  2回目は、1〜2コーナーのイン側、5コーナーのアウト側で。

 なので今回は、見た事の無い、トンネルの向こう側に行こうと思って、S字、V字コーナーに行ったが、
  コースが遠すぎて面白くない、私としては 一箇所でもいいので、出来るだけ近く 目の前で見たいのだ。

 結局、ハードブレーキングの ダウンヒルの内側で見た。 ここは 明日からは指定席になるらしいが、
  金曜日は自由に入れるし、ガラガラである。 





 

 始めは ブレーキングの最後の、ターンに入る辺りで見たが、コーナーが小さく、車速が落ちすぎて面白くないので、
   最高速からのブレーキングの瞬間を見ようと、少しずつ上に登った。
 
 まず moto3では、ほぼ全てのライダーが、ゼブラゾーンの上でフルブレーキングをするのに驚いた。 
  何でもmotoGPの前に、ゼブラゾーンは特殊舗装をして、コース上と同等のグリップになるらしく、
  進入も立ち上がりも、有効に使えるので、コース幅が 若干広がった事になるらしい。

 それにしても、ガッツ〜ンとブレーキを掛ける瞬間が ゼブラゾーンってのは、ちょっと怖い。 
  それが moto2になると、さすがに掛ける瞬間はコース上で、その後すぐにゼブラの上でブレーキングしている
  選手が殆どで、最高速も高いので、ブレーキングポイントも手前になっている。
  
 ふむふむ・・ならば、motoGPのブレーキングポイントは、この辺だろう?と予測して、更に上に登って待っていたら、
  とんでもない。予想のはるか手前がブレーキングポイントだった。

 まあ最高速も、とんでもなく速く、300km/hは軽く超えているだろうから、馬鹿でかいディスクプレートが着いていても、
  止まらない。 結局、リヤが浮いてしまうので、その範疇でしかブレーキング出来ない。

 motoGPは、シートにマスダンパーとか着いているせいか、ハードブレーキの割にはリヤが上がらない。
  どのメーカーも安定しているが、ヤマハが最も上がっていた。

 moto2は、案外上がらず安定していた、と言うより上がってしまった時は失敗で、オーバーランする事が多いので、
  ギリギリをライダーがコントロールしている様だ。  最も上がっているのが、moto3だった。

 全てのクラスで、8割のライダーがブレーキングの身体を起こすタイミングで、足を斜め後ろ下に、バァ〜ンと
  勢い良く出す。その後ステップに戻す人も居るが、殆どはそのまま、ターンの切欠の時に足を戻す。

 でも2割の人は全く出さない。 どっちにしろ、シフトダウンに殆ど気を使わなくていいので、
  ただひたすら、ブレーキレバーに手中して、リヤが浮くか浮かないか辺りでコントロールして居る様だ。
  勿論その時の減速Gに耐える為の、しっかりした体幹を持っていないと。






 

 そのブレーキングの瞬間の迫力は、motoGPが圧倒的で、バァ〜ンと掛けた瞬間、一瞬ハンドルが切れて、
  キックバック気味になったりするので、ドキッとする。

 ウイングは、そんな時の安定感の為に、今は絶対に必要なものになっているのだろう? 
  ただ、その弊害も大きく、これは、あくまで私が見ての予想だが、

 ブレーキングが終わって、右に小さくターンする旋回速度は、moto3が最も速く、まあそれは当然だけど、
  次にmoto2、これもまあ普通に入っていく、しかしmotoGPは、私がみても 本当に、クソみたいに遅い。

 もはやコーナーとは言えず、ただ転ばない様に通過する角、みたいになってしまっている。
  いくら最高速との車速差が大きくても、それはないでしょう ・・ おそらくそこにはウイングが関係していると思うのだ。
 
 急激な速度差の後、寝かし込んで行くときの空気の流れの変化で、ちょうどブレーキを離そうと言う辺りで、
  フロントの足元をすくわれる様な、横から突風が吹いてフロントをすくわれる様な、

 ギャップがあって、浮くような、そんな、おっかなびっくり、転ばない様に気を使って走っている様に見えるのだ。
  誰一人、自信を持って、コーナーに飛び込んで行けない。 Moto2のライダーとはまるで違う。

 だから、とりあえず角を曲がって、早く加速した方がいいって事になってるみたいで、
  何で、こんなつまらない場所に観客が集まっているのか理解出来なかったが、

 ここには大型ビジョンが設置されているので、皆それを見たいからなのだ。
  現に、午前中に行われた、フリー走行の1回目で、すでに1秒の間に20台がひしめく大接戦で、

 明日の予選のQ2へ進めるかどうかを決める、午後の走行のラスト3分は、秒単位で、目まぐるしく順位が
  大きく上下するので、観客は目の前を走り過ぎていくライダーではなく、大型ビジョンに釘付けになっていて、
  何の為に、この場で見てるのか分からない状態になっている。

 ただ、このクソみたいに遅い場所でも、マルケスのラディングには関心した。
  寝かし込んで行く、ブレーキングの最後で、わずかにリヤを浮かせて、リヤ旋回の切欠を作って、
  フロントへの旋回依存度を軽減している。 恐らく、そこでのフロントの不安定感を解消する為なのだろう。

 最も綺麗に旋回に繋げている。 車の弱点をライディングでカバーしている。
  他のライダーが、転ばなきゃいいや、と捨ててしまっている一瞬を、丁寧に走っている。
  又それがしっかり確実に出来ている。 さすがレベルが違う、と言うか、余裕がある、と言うか、

 一見派手なパフォーマンスに目を奪われるが、実に細かく、1回目、2回目の、それぞれの走行で、
  予選、スプリント、決勝レースの為の準備を、淡々とこなしているのが分かる。
 









 
  [ 2025/5/7 ]

 私事の続きを少々 ・・ イギリスで 身元引受人になってくれた ホンダUK の Yさんは、ヨーロッパ中への
  出張が多く、奥さんも セミプロの写真家で 外出が多く、中学生の娘も 寄宿舎生活で、

 自宅を 留守にする事が多く、防犯も兼ねて 留守番をしてくれ、と頼まれ、度々 Yさんの自宅で暮らした。
  いかにも イギリス風の 古い 3階建て? のマンションの 1階の部屋。 実は この部屋は、

 ホンダ F-1 の監督、中村良夫さんが 最初に住んで、その後 代々、ホンダUK の マネージャーが、
  引き継いで 住んでいるらしく、Yさんは 嬉しそうに 自慢していた。

 Yさんは 優しくて、とても いい人だが、とにかく真面目で、私の様な 不良とは 別世界の人で、
  本棚には ズラリと 英語の本が並び、日本語の本も 純文学や、難しそうな本ばかり。

 マンガ本など 一冊も無く、私には 読む本が無い。 ただ その中で、一冊だけ、興味を惹いた本があった。
  当時、日本の大学生の 殆どが読んでいたと言われる、小田実 の 「何でも見てやろう」

 これまで 殆ど 読書など した事が無かったが、日本語に飢えていた事もあり、必死に読みあさった。
  本って、こんなに面白いものだったんだ! すっかり 虜になってしまった。

 そうだ! 私も 何でも見てやろう! そんな 力が湧いて来た。 確かに 人生を変える一冊になった。
  そして 孤独の世界から、大きな一歩を 踏み出す 切欠になった ・・・



  
  







 
  [ 2025/4/29 ]

 マリの ノービス時代のアルバムは ここまでで、次のアルバムは 年代が混在していて、
  整理が必要なので、ここで ちょっと 私事を  ・・ 前記の続きだが ・・

 英語が話せなくても 何とかなるだろう、という甘い考えの私を待っていたのは、強烈な孤独の世界。
  最初の 1ヶ月間は、本当に 部屋に引き篭もり、ひたすら 孤独との戦い。
  言葉が通じないとは、こんなにも 辛いものか? ・・ 3ヶ月で 少し希望が見え始め、半年で 抜け出せた。

 この 孤独感は、後の人生も含め、最も辛い 数ヶ月間だった。
 
 ヨーロッパに行って 人生が変わった? いや、それは無いだろう。 しかし 明らかに、何か変わった。
  それは、この 孤独を 乗り越えた事が、最も大きな事だろう。 それだけ 孤独は 人間にとって重要。

 災害で 家族を失った人が、仮設住宅で 孤独死をする。 執拗な いじめを受けた 子供が、
  孤独感から 自殺をする。 人間にとって、孤独から 抜け出せない時、死を選ぶ事になる。

 ただ 私の場合は、言葉が通じない、という 物理的な孤独であり、それさえ乗り越えれば解決する。
  しかし 前述の孤独は、物理的な孤独ではない。 内へ内へと 向かって 閉ざされて行く、孤独感なのだ。

 無人島に1人の様な 物理的孤独は、今日の食料の確保、いかに外敵から身を守るか、など
  意識は 外へ外へと向かう。 しかし 内へ内へと向かう、孤独感 というのは、どうしようもない。

 でも 私は思うのだが、ある程度 自立してから、出来るだけ 若いうちに、本当の孤独を味わって、
  それを 乗り越える 経験をする事を お勧めする。 

 精神的に 危険な状態を、乗り越える事。 それは 大きく飛躍出来る チャンスでも あるのだ。
  ただ、乗り越えられず 失敗した時の 代償が 大き過ぎる  ・・ かな?



 







 
 [ 2025/1/31 ]

 お前の事など 聞きたくないよ。 と言われるかも知れないけど、ついでに、ちょこっと ・・

 マリが、ノービス125ccクラスで レースをしていた 1979年、 私は イギリスに渡った。


 

  会社を辞めて、本当は アメリカに行きたかったけど、イギリスなら 紹介してあげる、と言われ、
  アメリカも、イギリスも、同じ様なものじゃないの? と思って、行って見たら、想像と全く違っていたのだ。

 何で 行きたかったのか?  と言うと、理由は簡単  ・・ 単なる、憧れ ・・




 

 イギリスでは、ホンダUKの マネージャーの、Yさんが 身元引受人になってくれると言う事で、何の心配も無く、
  英語も 全く話せないのに、軽い気持ちで行ったら、Yさんに、こっぴどく 怒られ、これでは仕事は出来ない。

 まずは、英語の学校に行って、ある程度 話せる様になりなさい、と、1ヶ月ほど プライベートスクールに通った。
  ロンドンには、自宅の空いている部屋を貸してくれる家族が多く、flat と呼ばれている、日本で言う、下宿
  みたいなものが、沢山ある。 この地区は ポーランド系の人が多かった。

 優しい 老夫婦だったが、あまりにも 私が 英語が話せないので、コミュニケーションは困難だった。
  言葉が 全く通じない という事が、こんなにも大変な事か、とは想像もしていなかった。

 この 1ヶ月間は、いや、本当に辛かった。 本当に 逃げ出したかったけど、すぐ裏に 日本人も居たので、
  何とか 耐えられた ・・  1ヶ月で 急に話せる様になるはずも無いのだが、心境に変化が出て来た。

 今 思うと、この1ヶ月、耐えて良かった。 徐々に慣れて来て、何とか生活出来る様になって行った。

  

 

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